漁師になったきっかけ
漁師になる前は、地元大阪の一般企業に就職、漁師とは関係のない職業に携わっていました。当時、交際中だった妻の実家(岡山県玉野市胸上)が漁師であったことから、今後の将来のことも考え、結婚と同時に漁師になることを決意しました。その後、義父の元で修業を行い2009年に妻と共に邦美丸を立ち上げました。
邦美丸の由来
私たちは、「ブレない、着飾らない、正直に!」をモットーに、岡山県玉野市胸上漁協で海苔養殖と底曳網漁をしている個人経営の漁師です。邦美丸の名前の由来は、夫婦のそれぞれの名前、邦彦・美保からとりました。
胸上海苔は県下トップの生産量
岡山の海苔養殖は100年を超える歴史があり、県内にはたくさんの海苔師の漁協があります。その中で胸上漁協の海苔は、県下トップの生産量を誇っています。岡山の三大河川である吉井川と旭川が流れ込む漁場であるため、海苔に必要な栄養塩が豊富であることから美味しい海苔が育ちます。邦美丸では、初摘み、早摘み海苔を商品化しており、分厚いのに歯切れが良い、高級感のある海苔をお届けしています。
邦美丸の海苔
海苔の生産枚数は全国で減少傾向にあり、毎年目標とされる生産枚数に達していません。その為、海外産の海苔が入ってくるようになり海苔の価格が適正ではなくなってきています。要因として、漁師の減少や温暖化が考えられます。邦美丸では生産枚数を増やすという使命感を持って、生産を行っています。
生涯一年生
漁師の間で海苔作りは、“毎年1年生”だと言われます。毎日の天候や海の状態で変わってしまう海苔との付き合いは非常にデリケートで先が読めません。海苔作りの準備・生産期である約6カ月間(10月~3月)、私たちは海苔の事を想い、1番に考えて生活をすることになります。雨の日も雪の日も毎日海へ出て、海苔網を整備し海苔成長を見守り続けるのです。そうやって大切に、大事に育てているからこそ、海苔を「我が子」のように想います。そんな海苔に対する気遣いや想いが邦美丸の海苔の強さ、武器だと思っています。
厳選した海苔のみを商品化
邦美丸では、その年に育てた海苔の中で、「これだ!」と思う海苔だけを厳選しています。絶妙な味・風味・食感に至るまで、生産者自らが知り尽くした舌でひとつひとつチェックを行い「おいしい!」を体感できたもののみが邦美丸の海苔となります。収穫できる海苔全体のおよそ2%を商品化しています。
美味しい海苔ができるまで
<生産工程>
邦美丸の漁
あくまで持論になりますが、魚は人と同じで同じ場所、同じ魚種、同じサイズの魚でも一匹一匹育ちも性質も味も変わってきます。特に、食感を左右するのは船上からお客様に届くまでの処理の仕方で大きく変わってきます。邦美丸は個人経営の漁師なので量は獲れませんが一匹一匹丁寧に処理し仕立てて発送します。味を左右するストレスもできる範囲で抜けるよう努力しています。
得意先は自然
私たち第一生産者は、得意先が人の言葉が通じない「自然」です。毎年違った天気、温度、水温、湿度、海水温度、海水濃度、潮など言い出すときりがない相手に対応していかなければなりません。毎日当たり前のようにどこかで魚が水揚げされていますが、それは当たり前ではなく漁師の知恵です。今日獲れたからと言って、明日も獲れるといった保証はどこにもありません。邦美丸はこの得意先である「自然」と真摯に向き合い、漁獲しています。
水産資源の保護
全国の漁獲量は年々減少傾向にあり、現在では小魚までも市場に出回るようにてなってきています。漁獲量減少は、海洋環境の変動もありますが、必要以上に漁獲していることが考えられます。邦美丸では、市場を介さず自分達で直接販売・発送することに数年前から重点を置き、必要以上に漁獲しないことを意識しています。そうすることで水産資源の保護にも繋がると考えています。また、この結果として、沖に出る操業時間も以前の半分くらいまで短縮できています。
発送専門漁師を目指して
邦美丸では、自分達で水揚げしたものは全て自分達で販売・発送する「発送専門漁師」を目指しています。現在、水揚げしたものの9割が自分達で発送するところまできています。
漁業を夢のある職業に
漁獲量の減少や、輸入の魚が多く入ってくることで魚の値段が上がらないことから漁業後継者をつくらない漁師が増えています。邦美丸は「漁業が夢のある職業」となるよう今後もいろいろな取り組みを行っていきたいと考えています。