備前焼の歴史
備前焼は瀬戸、常滑、丹波、越前、信楽と共に、日本を代表する六古窯の一つに数えられています。六古窯の中で唯一釉薬を用いず、土味を生かした焼物であり、焼きあがった作品には多彩な窯変がみられ、自然の持つ力の素晴らしさを感じさせます。室町時代には多くの茶人たちによりその素朴さが愛され、茶道具が多く作られるようになりました。江戸時代には、備前藩主池田光政の保護により、全国に広がり、今日に至っています。 1000年以上にわたり、備前焼は今も変わらずその伝統を守っています。
黄薇堂の由来
備前藩主、池田光政以後、各窯元の粗製を防ぐため、六姓(木村・森・金重・大饗・寺見・頓宮)に限り認可し名工は御細工人として優遇しました。木村家は代々その流れをくむもので、天保時代から今日に至るまで黄薇堂の名の下に少なくとも10世代続いている窯元です。
窯元名である黄薇堂の「黄」はアジア人「薇」は人間を表しているとされており、東洋で頑張りたいとの想いから名付けられたのではと言われています。
黄薇堂の作家
<木村微風>
高校卒業後は一般企業に勤務する傍ら、夜間の美術学校に通い工芸家を目指していました。その後、知人から備前市伊部を紹介もあり、1971年木村陶生園に入り陶技を磨き、習得しました。茶器・酒器・花器・食器を主に制作し、長く使っても飽きがこず、落ち着く雰囲気の形、焼き、色を常に求めています。今後も日常使いとしてもっと身近に感じていただける作品を造り続けたいと思っています。
【受賞歴】
日本陶芸展、茶の湯造形展、岡山県美術展、日本伝統中国支部展、焼き締め陶公募展
【個展歴】
奈良、大阪、青森の百貨店、サンフランシスコ
<木村瑞穂>
高校卒業後、陶芸家である父木村微風に師事。その後、アーティストとしての経験を広げるため2003年に渡米してコミュニティカレッジで芸術を専攻、2011年に帰国し再び備前焼の道に進んでいます。伝統的な陶芸と現代的なデザインコンセプトを融合しようと常に邁進しています。
<木村庸介>
青年期はカリフォルニアで過ごし、ロサンゼルスで建築を学び、構造設計のデザイナーとして20年間ニューヨークで勤務。その後、備前焼作家木村微風の長女瑞穂と結婚、備前市伊部で陶芸を始めました。建築の背景を生かしたユニークなデザインを伝統的な備前焼に取り入れようと常に模索し続けています。
窯たき
黄薇堂では、伝統的な登り窯を用いて年に1度窯たきを行います。赤松の割木だけを使い、約2週間休むことなく窯たきを行うため、家族・スタッフが交代して温度管理を行っています。温度は約1,200℃~1,300℃に達し、一度の窯たきに約1,500束の割木が使われ、窯には約3,000点以上の作品が入ります。
土づくり
備前焼の原土は伊部周辺の水田底にある粘土層「ひよせ」です。ひよせは、粘りが強く耐火度は低く、陶土としては鉄分が多く含まれています。農閑期にひよせを採土して、乾燥、粉砕、浸水して溶かします。こうしてできた泥しょうを鉢に入れて水分をぬき黄薇堂の土が完成します。作品の種類によって変化を付けたいときには、山土を混ぜて使うこともあります。
作品
時代に添った作品づくり
時代とともに生活様式も変化していますが、黄薇堂では今まで培ってきた伝統手法に現代的な要素を融合した、時代に添った作品づくりにも邁進したいと考えています。